有吉君とマツコさんに賛成!

「“エセ”では本物の若さには勝てない」。ついにマツコが“美魔女”ブームに物申す!

美魔女ってなんか気の毒なんですわ。
ええと
うちの母親が若くは見られてたけど決して美人ではない
(どっちかというまでもなくブサイク、メイクすりゃするほど悲惨なことにww)

間近で見て育ったのがいかんのかもしれませんが
若くあること

美しくあること

リンクなんかしてないんですわ。

そして、
若くあることのみに女性の価値があり、
美しくあることのみに女性の価値がある
という考えって
すげえ薄っぺらい感じしちゃうんですよ。

年齢相応(よりもどっちかというと老けて見られる)20代・30代を過ごしてたんで
若さゆえちやほやされる
っていう感じがわからんのもありますけどさw

より

いづれの花なりとも、人の望み、時によりて、とりいだすべし。物数を究めずば、時によりて花を失うことあるべし。たとへば、春の花のころ過ぎて、夏草の花を賞翫せんずる時分に、春の花の風体ばかりを得たらんしてが、夏草の花はなくて、過ぎし春の花を、また持ちていでたらんは、時の花に合ふべしや。


べちにまた、老人の、花はありて、年寄と見ゆる口伝といふは、まづ、善悪、老じたる風情をば、心にかけまじきなり。そもそも、舞・はたらきと申すは、万に、楽の拍子に合はせて、足を踏み、手を指し引き、ふり・風情を、拍子にあててするものなり。年寄ぬれば、その拍子のあてどころ、太鼓・歌・鼓の頭よりは、ちちとおそく足を踏み、手をも指し引き、およそのふり・風情をも、拍子にすこし遅るる様にあるものなり。この故実、なによりも、年寄の形木なり。このあてがひばかりを心中に持ちて、そのほかをば、ただよのつねに、いかにもいかにも花やかにすべし。まづ、仮令も、年寄の心には、なにごとをも若くしたがるものなり。さりながら、力なく、五体も重く、耳も遅ければ、心はゆけども、ふるまひのかなはぬなり。このことわりを知ること、真のものまねなり。わざをば、年寄の望みのごとく、若き風情をすべし。これ年寄の、若きことをうらやめる心・風情を学ぶにてはなしや。年寄は、いかに若ふるまひをするとも、この拍子に遅るることは、力なく、かなはぬことわりなり。年寄の若振舞、珍しきことわりなり。老木に花の咲かんがごとし。

ともに


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by gabefunyaa | 2012-12-21 18:39 | テーマトーク | Trackback | Comments(0)

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