2005年 02月 28日
忘れ去られている 震災
ブログ・スローライフで歩こう の記事あの時神戸は瓦礫いっぱいだった
にもあるように
つい10年前のことですら
直接の体験の無いヒトにとっては
遠い昔の記憶になりつつあるのですが
神戸新聞の書評(2月13日付)を
何気なく職場の新聞置場で眺めていて
たぬきは絶句してしまったのです
たくさんのヒトが犠牲になったというイメージの有る
阪神淡路大震災の死亡率が住民の0.7%
(どこの地域の数字かまでは丁寧に読まなかったのだが)
それに対して
北但大震災(大正14年5月、マグニチュード7.0)の
城崎町内における死亡率は6%だったというのだ
そしてそのことはあまり知られていないという
私は隣町である兵庫県豊岡市に生まれ育ち
北但大地震のとき大火災が発生したことを
避難訓練のたびごとに聞いていたのだが
ここまで住民の死亡率が高いとは思ってもいなかったのです
「今日我々が目にする、玄武岩による大谿川の護岸、
太鼓橋、柳や桜の並木などの落ち着いた城崎の佇まいは、
大正初期の志賀直哉の目に映ったものではなく、震災復興を機に
新たに計画的に創造されたものであり、岡田信一郎の建築・都市
デザイン力と吉田享二の建築材料の研究蓄積に基づく実践的な
都市デザインの結晶」なのである(これも知りませんでした)
兵庫県立歴史博物館でも
震災についての催しが行われています
機会があれば足を運んでみてください
さて 大地震の時を想定して
児童・生徒を保護者が迎えに来る「引き取り訓練」が行われる報道を
何回もみた事があるのですが
果たして帰宅させることにメリットがあるのかを
消防自動車などが入り難い道路事情の有る東京の都市部では
じっくり考えてみて欲しいです
保護者に引き渡せば 学校側としてはそれ以上責任を負わなくて済む
という消極的取り組みではなく
児童・生徒の安全をまず第1に考えて行動しなければいけないはずですよね
にもあるように
つい10年前のことですら
直接の体験の無いヒトにとっては
遠い昔の記憶になりつつあるのですが
神戸新聞の書評(2月13日付)を
何気なく職場の新聞置場で眺めていて
たぬきは絶句してしまったのです
たくさんのヒトが犠牲になったというイメージの有る
阪神淡路大震災の死亡率が住民の0.7%
(どこの地域の数字かまでは丁寧に読まなかったのだが)
それに対して
北但大震災(大正14年5月、マグニチュード7.0)の
城崎町内における死亡率は6%だったというのだ
そしてそのことはあまり知られていないという
私は隣町である兵庫県豊岡市に生まれ育ち
北但大地震のとき大火災が発生したことを
避難訓練のたびごとに聞いていたのだが
ここまで住民の死亡率が高いとは思ってもいなかったのです
「今日我々が目にする、玄武岩による大谿川の護岸、
太鼓橋、柳や桜の並木などの落ち着いた城崎の佇まいは、
大正初期の志賀直哉の目に映ったものではなく、震災復興を機に
新たに計画的に創造されたものであり、岡田信一郎の建築・都市
デザイン力と吉田享二の建築材料の研究蓄積に基づく実践的な
都市デザインの結晶」なのである(これも知りませんでした)
兵庫県立歴史博物館でも
震災についての催しが行われています
機会があれば足を運んでみてください
さて 大地震の時を想定して
児童・生徒を保護者が迎えに来る「引き取り訓練」が行われる報道を
何回もみた事があるのですが
果たして帰宅させることにメリットがあるのかを
消防自動車などが入り難い道路事情の有る東京の都市部では
じっくり考えてみて欲しいです
保護者に引き渡せば 学校側としてはそれ以上責任を負わなくて済む
という消極的取り組みではなく
児童・生徒の安全をまず第1に考えて行動しなければいけないはずですよね
by gabefunyaa | 2005-02-28 07:11 | 天変地異 | Trackback | Comments(0)