2005年 03月 10日
本当にお別れとなってしまった
センチメンタルな話や ロマンチックな話ではないことを 始めにお断りしておきます
1990年4月~1991年3月に
1回だけ 担任を(このときは教諭だったので)持たされたことがあります
その学年が高校3年生になる時には 担任を外れ
仕事上の人間関係 が 正直 辛くなっていたので
逃げるように 退職することを決意していたのですが
(結局 その業界に非常勤講師として舞い戻っているんですよね・・・)
1992年3月の卒業式
担任を持っていた Aくんのお母さんが
「おかげさまで進路も決まりました」
と なぜか 私のところにやってくるんです
(?今年は 担任外れてるのにさ?) と思いつつも
ま その場は何事も無かったかのように
・・・4月に入り
数少ない 職場で 気を許せていた先輩から
「Aくんのご両親、(彼が進学した)九州地方の大学の入学式の帰り道に
自動車を運転していて 事故で亡くなられたんだよ」
との知らせが
わざわざやってきたお母さん あれは 虫の知らせだったのでしょうか?
「関西の大学の夜間課程 と 九州の普通の時間帯の大学とでは
普通の時間帯の方が 勉強し易くて良いんじゃないか?」
と Aくんにアドバイスしたことが 悔やまれる 苦い思い出です
by gabefunyaa | 2005-03-10 08:21 | あれこれ | Trackback | Comments(2)
人生は膨大なアミダクジのようなフローチャートから成っていると思うのですが、あなたはその一部分に触れたにすぎません。
亡くなられた方は、あなたのAくんへのアドバイス後にもたくさんの選択肢を、一つ一つ自分の意志・あるいは運命で選んでいったわけで、それはあなたとは何の関わりもないことです。
人生とはそんなもの、A君にはツライ出来事だと思いますが、ご両親はA君の晴れ姿を見ることができて幸せだったのかも知れませんよ。
あみだくじ・・・言い得て妙な表現ですね
でも いまだに この季節になると 思い出すんですよね
夜間コースには 「ほぼ地元」に残れる良さがある
というんじゃなかったらねえ・・・
本人も迷いはしなかったんでしょうが
Aくんは二年の途中に 関東から関西へ 転校してきて
環境になじめるかな?という懸念のあった生徒だけに
頭に残っているのかもしれません
そういえば A君たちの学年が高校を卒業して12年になります
(カープで言えば黒田・澤崎投手の学年です←野村内野手と同じ年の私が、この学年の担任をしていたんですよね・・・。)