道連れにすることはなかろうに

娘道連れに無理心中か 神戸、母子4人死亡の住宅火災Excite エキサイト : 社会ニュース

無理心中する人には
子どもや家族=他者という感覚がないのかもしれない。

生きてはいけない
となった時
残しては逝けない、というのは
子どもや家族の将来を潰してしまう
行動だと私は思う。

客観的に見たら
死ぬほどのことではなくても
その人個人にとっては
生きてはいけない ということ
あるとは思うけど
子ども との 無理心中は 虐待だがな





読売新聞関西版の記事から
大阪の事件では子供2人が通う保育園には保育料が納められていた。猪名川の事件でも、夫婦の知人は「子供たちの服装もきちんとしていた。生活苦なんて……」と話し、命を絶つほどの貧窮には気づかなかった。いずれのケースでも専門機関に相談したり、生活保護を求めたりした形跡もない。
 「関西いのちの電話」の八尾和彦事務局長は「周囲と生活レベルが違うところを見せたくなくて無理をした揚げ句、子供の命を奪うという身勝手な道を選んだのだろう。相談してくれれば、絶望から抜け出す糸口は必ず見つかると伝えたい」と呼びかける。


生活保護の不正受給
あるいは
保育料の滞納
って話がちょくちょくマスコミをにぎわす

また
(まめ)たぬき一家では
服は破れるまで着る←いや、気に入っていたら破れてもだ(--;
物を誰かがくれるといったら遠慮なく貰う
という
「だってマンション購入当時より
世帯年収が200万以上下がったんだもん
しょうがないやんかw」
と、周囲と生活レベルが違うのを丸出しにする生活をしているのだ。

そう
無理心中しない奴というのは
ある意味ずうずうしいんだろうな。

生活苦の無理心中では?
という猪名川や大阪の事例と違い
ひょっとしたら
今回のものや
以前JR神戸線であった
母親が幼い2人の娘を道連れに飛び込み自殺した
というのは
「うつ」などの精神疾患がその背景にあるのかもしれない。

ま、
私個人は、うつ状態で「死のうと思った」こともあるが
そのときも
子どもを道連れに、という発想はなかったんだよな。

自分は自分
一人でしかないという不安のほうが元々強いから
他者を道連れにということを
考えないだけなのかもしれないが。
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by gabefunyaa | 2007-11-06 20:51 | テーマトーク | Trackback | Comments(6)

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Commented by Penpen at 2007-11-07 18:42 x
家族だというだけで「無理心中」という言葉にくるまれてしまうけれど、要するに「殺人、容疑者自殺」っていうことなんだよな、といつも思います。

Commented by gabefunyaa at 2007-11-07 19:20

>Penpenさん
はい、まったくそのとおり。
日本では「犯罪者=恥」という意識があるので
無理心中の抑制のためには「殺人 容疑者自殺」なんだから
書類送検された、という新聞記事を出すのがいいような気すらします。

ま、もともと家庭内暴力に対しても及び腰なんだよな
日本の司法当局&警察って。
Commented by Penpen at 2007-11-08 09:31 x
司法当局や警察も、親子や家族=他者という感覚が希薄なんでしょう。血縁関係にあろうが性的関係を結ぼうが他人は他人、他人に暴力をふるうのは犯罪なんですけどね。
Commented by スドウ at 2007-11-08 15:43 x
バブル期だった中学生のとき、羽振りが良かったはずの同級生一家が崖から車ごと転落死しました。一家心中でした。明るい奴でバレーボール部のエースでした。学校中にショックが走りました。未だに彼の話は同窓会でもタブーです。皆、まだあの事実を受け入れられないのです。もう17年も経ったのですが。だからこういうニュースには複雑な感情を持ちます。
Commented by gabefunyaa at 2007-11-08 17:54

>Penpenさん
司法当局や警察は、まだ個人の人権というものが確立しない時代の感覚なんでしょうかね。
Commented by gabefunyaa at 2007-11-08 17:59

>スドウさん
バブルの前の景気がちょっと沈んでいた時代、中学のクラスわけに名前があるのに同級生が学校へ現れないということがありました。
また別の同級生は、中学生の時帰宅して父親の首吊り死体の第一発見者となり、明るかった性格が一変しました。
どちらの親も「子どもを道連れに死ぬ」ことは選ばなかったんですよね。
生きてはいけないとなった時の行動の違いって、どこに根っこがあるのかな?などと考えてしまいました。

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